私は長い間自閉症の人々を誤解していた

過日のNHKスペシャルは自閉症の作家、東田直樹氏の特集であった。彼は他人と対話をすることができないが、彼の母が作ったという QWERTY 型を模した文字盤やパソコンを通して自らの意見を発することができるので、通常はうかがい知れない自閉症者の内面を垣間見ることができる。

自閉症者は他人と対話できないと思い込んでいた私にとっては非常に貴重な驚きであったし、相当に彼らを誤解していたことを知った。電車や公共の場所で見る彼らはガラスに「の」の字をずっと描いていたかと思うと、突然叫び出したり、何事かを繰り返し大声で話したり、突然隣の車両にずかずかと進んでいったり、彼らが途中駅で車両に入ってくると、車内の緊迫感が一気に上昇する。乗り合わせて参ったなと、そんな印象しか無かった。刺されたらどうしよう、そんなことまで思ってしまった。

しかし番組を通して東田氏の言葉を聞く内、外見と内面は全く一致していないことに気づかされた。自閉症の人々は自らの意見を自閉症ではない人々に伝える機能を有していないのだ。しかもそのことは知覚していて、騒ぎを巻き起こしている自分の姿まで明瞭に認識しているという。これはとても残酷な状況だ。「自閉症ではない人々」と、あえて書いたのは「健常者」とか「普通の人」と言う書き方に抵抗があったからで、自分自身を振り返っても決して健常でも正常でもないし、どっちかというと異常者だと思っている上に、なにより「健常」という言い方は、枠から外れた人をなんだか見下したような響きを感じるからだ。

東田氏の文章の才覚は並外れている。「もしも自分が自閉症で無かったら」という仮定のもとに書かれた彼の文章を著作から引用すると:

「まるで、悲しいことなどひとつもないかのように、想像上の僕は楽しそうです。しかし、今ではうらやましいとは思わなくなりました。想像上の僕も、見えないところで泣いたり悔やんだりしていることが、わかったからです。」

と、自閉症では無い空想の自分の向こう側をさらに見つめている。彼の文章は短い中にとても複雑な内容を含んでいて、その文章力は世の人の平均を遙かに上回っている。専門家がごたくを並べても今ひとつスッキリしなかったことが、当事者である彼の言葉によって明瞭になった。自閉症者は物事を分けてとらえることができず、目にとまった出来事、突然想い出した映像に集中してしまい、いわゆるまともな行動ができない、だがしかしそのことを普通に認識している。こんな残酷なことがあるだろうか。せめてそのことを知覚していなければ、なにも苦しむことはなかったのだ。

彼の著作をひとつ買った。「跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること」というエッセイだ。苦しみを乗り越えた彼の紡ぐ文章は重く、たった一行にものすごい意味が込められていて、一ページ毎に涙がにじんでくる。

全ての自閉症者が東田氏と同じとは思わないが、自閉症者の行動に合点のいったところも多く、非常に貴重な体験だったと思う。


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